『ハバネラ』
駅へ向かう帰りの道で、小さな喫茶店から『カルメン』がかすかに漏れていた。腕時計を見て、少しだけ寄ってみることにした。
幸い店内には客が誰もいない。カウンターに背もたれ付きの丸椅子が五脚並び、二人掛けの小さなテーブル席が三つある。カウ
ンター席の真ん中に座ると、かなり年配の女性が顔を見せた。写真でしか知らない、昭和初期の頃の映画女優に似ているが、
名前は思い出せない。
カウンター内の壁には、三段の棚にLPがびっしり並べられている。千枚はあるだろうか。僕の父も三百枚ほど持っていたから見
当は付く。
「コーヒーお願いします。ところで、みなクラシックですか?」
「ジャズと半々ですかね」
「ママさんが?」
「いいえー。みな旦那です、もういませんがね」
レコードの棚の右側には、一番上に重厚なプレーヤーが置かれ、その下に真空管のアンプが三台置かれている。アンプも父の
作ったものをいくつも見ているので、どの程度のものかは見当が付く。どれも一本数万円はする真空管がふんだんに使われている。
壁には、一見して手製と分かるスピーカーの箱が貼りついているが、いかにも小さな空間に相応しい感じだ。僕の父と、もういない
というママの旦那がカウンターを挟んでいたら、さぞ話が弾んだことだろう。
「『ハバネラ』を聴きたいんですが、頭から掛けてもらえますか」
「豆を挽き終えたらにしますね」
やがて流れた『ハバネラ』は、あのころ母が気に入っていたのと違う歌い手だ。「誰です?」と尋ねようとしたが、どうせ分かりそう
もないので(――ママではなく自分が)、止した。
あれからもう二十五年が経つ。あのときの母はちょうど今の僕と同じ年齢だった。僕はまだ中三で、今思えば、最も母親を失いた
くない年頃だった。
それから、一柳さん。あの後どうしただろう、まだどこかで元気にしているだろうか。
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エレベーターが止まって通路への扉が開くと、いつもの空間にいつもとは違った空気が流れている。気のせいではない。どこから
だろう。物音はなく、人の気配もない。通路の両側に四部屋ずつ並ぶ計八つの病室のどこかで、何かが起きている――ひょっとして
誰かが?
歩を進めるにつれて、体の重みが増していく。いやな予感は募る一方だ。次第に僕を取り巻く空気まで重みを増していくようだ。つ
いに一番奥まで来た。左側の部屋は戸がしっかり閉ざされ、母のいる部屋の入り口が、わずかに開いたままだ。意を決して、僕は
恐る恐る中へ入る。
『和志さんね?一柳です。和志さんでなかったらどうしましょ。でも、間違いなく和志さんよね?今日は部活無しの月曜だから、今は
四時半頃かしら?
私がこの手紙を書いている今の時刻はちょうど夜中の十二時。このあと一時頃に看護婦の見回りがあるので一旦寝た振りをして、
そのあと朝方までには書き終えるでしょうから、そうしたら姿を消します・・・』
手紙は、サイドテーブルの一番下の引き出しに入っていた。僕がいつものように、CDウォークマンとヘッドホンを取り出そうとする
と、その下に「和志さんへ」という封筒が置かれていた。
『私が何故和志さん宛てにこのような手紙を残すのか、最後まで読んでいただけたら分かってもらえるものと思います。でも、途中で
読むのが苦痛になったら、そのときは無理しないで破棄してください。ただし、変な証拠品にならないように、できるだけ完璧に廃棄
してくださいね・・・』
僕には、この先手紙に書かれている内容が、少しずつ見えてくるような気がした。いつもは、母のベッドと隣りのベッドとの仕切り
のカーテンが、半分以上は開けられているのに、今日はしっかり閉められている。しかもカーテンの向こうには、人の気配はもとより
物の気配すらない。カーテンを開けてみるまでもない。向こう側は全くの無の状態だ。一昨日までは、ベッドの周りを取り巻くいくつ
もの医療機器が、それぞれ特有の音を発していた。
『どこから始めようかしら。やはり一番肝心なところは最後に回して――もったいぶってではないの、やはり段階的な説明が必要だ
から――、まずは私のこと、それから私と七五三木さんとのことから書くわね。その前に、ちょっと厄介なのでこの先、七五三木さん
の七五三は〆にします。つまり〆木さん・・・』
母がこの病院に移り、この病室に入れられたとき、一つの部屋が分厚いアコーディオンカーテンで仕切られていて、入り口からは
遠い側に、男性の患者がいた。七五三木さんだ。そして七五三木さんに、一柳さんが付き添っていた。最初のうちはカーテンがかっ
ちり引かれていて、時折りカーテン越しに、七五三木さんの奇声や唸り声が聞こえてきた。「七五三木さん、七五三木さん」となだめ
たり、起き上がろうとしたのか「ダメですよ」と抑えたりしようとする一柳さんの様子が、しばしば伝わってきた。そんなとき僕は「手を
貸しましょうか」と声を掛けたものか、ずいぶん迷った。あるとき、七五三木さんが異様な暴れ方をしているようなので、一柳さんがい
なくなった隙に、やはりカーテンで仕切られた奥のスペースへの通路から覗いてみると、七五三木さんは手足を柔道の帯のようなも
ので、ベッドの枠に結わきつけられていた。
母が入って一ヶ月もしないうちに、七五三木さんが静かになった。あるとき、部屋の入り口から一柳さんが声を掛けてきた。そして、
それをきっかけに、僕のときだけ仕切りのカーテンを開けるようになった。最初は少しだけ、慣れてくると当たり前のように開け放った。
看護婦さんたちも何も言わなかった。僕たちはいろいろ話しをするようになった。僕の母も七五三木さんも、話は分かりそうにないの
で、いつも全く二人だけで会話している状態だった。
一柳さんは七五三木さんの身内ではなく、七五三木さん(の奥さん)に雇われている。僕がよくやってくる夕方や夜はたいていいる
が、午前や午後の何時間かは、自宅へ帰って家事を済ますなどフリーに動けているらしい。夜はベッドの脇にマットレスを広げて泊ま
る。この病院では、夜目の離せない患者には、付き添いを置くのが条件ということだ。
一柳さんはそれ以上のことは話さず、僕も聞こうとはしなかった。聞いてはいけないような気がしたからだ。一柳さんは、六十過ぎと
思われるが、独身のようだ。このような仕事をしているからでもあるが、いかにも家庭、家族といったことを意に介さないという様子に
見える。眉を細く整え、薄い唇に淡い朱色の口紅を少しだけさし、髪を一つに束ねて右肩のほうに垂らしている。いつもズボンなのは、
そのまま横になるからだろう。地味な銀縁の眼鏡は顔立ちとあいまって、物静かで知的な女性を印象付ける。僕といろいろ語るように
なったのは、このようなところに話す相手もなく長く篭ったせいだろう。二人の会話は、いつも一柳さんが僕に問い、僕が話すというや
り取りだった。
『私はこの町の生まれ。一人娘で一度結婚したけど、二年で亭主は出て行き、子供は無し。父も母も既に他界しており、従って今は
全くの独り。近くに厄介な身寄りも無し。年齢は和志さんのお母さんより二周り近く上かな。私の素性はとりあえずこんなところにして
おくわね。
四月の最初だったから、もう二ヶ月前になるけど、地方紙の広告欄でたまたま目に止まった求人があってね、求人者が「七五三木
(シメキ)」となっていたの。読みよりも字数が多い珍しい姓だし、字の並びも目に止まりやすいわよね。「入院患者の付き添い(特に
夜間)求む。男女問わず。報酬応相談。連絡先:七五三木(シメキ)TEL――」。「男女問わず」ということは入院患者が男で、従って
求人者は奥さん。寝たきりの旦那を入院させたけど、夜騒ぐか徘徊するかの事情で、病院から付き添いを付けるように言われた。自
分はやりたくないし、金ならいくらでも。そんなことは誰にも容易に想像できるわよね。だけど私がすぐに連絡したのには、別に訳があ
るの。
中学のとき一つ上の学年に七五三木という男子生徒がいたの。姓もだけど何かにつけて目立つ存在だった。学年が異なっても良く
知られていたし、多くの女子生徒の憧れの的だったの。成績は学年のトップクラス、陸上でも中距離の花形選手で、県大会で何回か
入賞していた。当然運動会では最高に目立った。私は速く走る素質など何もないのに、〆木さんに憧れて陸上部に入ったの。ミーハ
ーな女でしょ。案の定、〆木さんからは一年間で数回声を掛けられただけ。私は、〆木さんの近くにいられるだけ、視界の中に〆木さ
んがいるだけで嬉しがっていた。だから、〆木さんが卒業すると同時に陸上部は辞めたの。なんていい加減というか軽薄な女でしょう。
仕方ないわね、元々頭の出来も良くないし、運動神経もよくないし。でも、彼の男性としての本当の素晴らしさは見抜いてた。彼は部
長ではなかったけど、人を引きつける人間的な魅力を持ち備えていて、何も偉そうなことを口にしなくても、仲間や下級生は皆彼を慕っ
た、女の子ばかりでなく男子もよ。男にしろ女にしろ、異性だけから好かれる人間って大したことないことが多いわよね。しかも彼は、部
長を持ち上げることを常に心掛けていた。こういう男性は、その後の長い人生でもお目にかかっていない。
電話で奥さんと話しただけで、あの七五三木さんであることは間違いないと分かった。年齢もそうだし、この町の出身ということだった。
そして〆木さん宅を訪問して、〆木さんが実業家としてどれだけ成功したかは一目瞭然だった。ごみごみした市街地から少しだけ外れ
た閑静な住宅街にあって、ひときわ目立つ邸宅だった。ただ、子供には恵まれなかったようで、奥さん一人で暮らしていた。
毎晩〆木さんに付き添うことを条件に契約を取り交わしたけど、提示された報酬額は予想を遥かに越えるものだった。正直、私は蓄
えがあったし、年金もあるので生活に困ることはない。勿論、かつての少女のときのような〆木さんに対する憧れが残っていたわけで
は無かった。ただ、〆木さんがどうなったのかは少し関心があったし、自分でいうのもおかしいけど、〆木さんの付き添いには自分が相
応しいような気がしたの。
奥さんは、〆木さんが一緒になりたいと決心した頃、そしてその後いつの頃までかは、〆木さんが心引かれる女性だったかも知れな
い。だけど、今目の前にいる女性は、私が知っているあの〆木さんが、本当に本心から生涯の伴侶としようと決意したの?と疑いたくな
るようなタイプだった。実際の年齢は分からないけど、頭のてっぺんから足の先まで、どこをとっても女として寸分のすきも無く整え、五
十前後には見えるものの、今が女として一番輝いていることを自ら意識しているように見えた。求人広告の応募者に過ぎぬ訪問に対し
てさえ、いつどんな男性から誘いの声が掛かっても、即応じられるといった身の構えだった。
以下はその奥さんの話。
<〆木は一月の終わり頃、突然異常が始まった。食事の最中に手にしていたスプーンをぽとりと落としたのだ。本人も私も何が起きた
のか分からなかった。すると、それを発端に、歩行中に何かに躓くとか、バランスを失うとか、新聞の活字が今までの老眼鏡では見え辛
くなるなどの、自分では認め難い体の異変が次々生じた。〆木は以前から体力には自信があり、力もスピードも反射的な動きも、若い
世代と対等かそれ以上のものを維持し続けていると自負していた。だから余計に自身の異常を受け入れ難かった。二月中旬、いよいよ
これはおかしいと認め、私も強く勧めて検査を受けた。脳腫瘍だった。しかも悪性で癌の一種。もっとも手術が困難な部位に腫瘍が認め
られ、摘出は不可能で、仮に一部を取り除けたとしても、もはや食い止めることはできない。つまり、余命を判断するしかない状況にあっ
た。そして、〆木の強い意志で、ありのままを医師から直接説明してもらった。
自分の意識が無くなったらもう誰にも会わせないで欲しい、というこれまた本人の強い思いから、親戚、友人、かつての同僚たちの面
会を次々と済ませた。本人は、「これは生前の葬儀だ」と言った。そして、「朽ちた後の葬儀は要らない」とも>
私が付き添うようになってからは、誰一人として面会に来るものは無かった。後から〆木さんの事情を知って、面会をという知人が現れ
たとしても、奥さんが止めたはずだ。その奥さんも、私に何かあったら連絡してというだけで、一度も姿を見せなかった。彼女の中には既
に〆木さんは存在しないようなのだ。
私が付き添うようになった頃はまだ、相手が誰であるかはよく分かった。一柳という名前を覚えて、〆木さんの方から声を掛けてくるこ
ともあった。私は中学の頃のことを話すのは止した。昔のいい時代のことを思い出すのが、果たして楽しい気分になれるのか、それとも辛
いことなのか分からなかったから。もしも〆木さんの方から話題にしたら話していたかもしれないけど、そういうことは無かった。それに、も
うそのときは昔を偲ぶという気すら起こらなかったのかもしれない。
でも、かつての〆木さんらしい一面も見せた。私が付き添いであることを理解していて、椅子に座って休むように進めてくれたり、足が
重いからとマッサージしたときは、しきりと『疲れませんか』と気遣ったりしてくれた。すでに自慢の体が筋肉を失い、かつての精悍な顔つ
きとは程遠い〆木さんだが、私は『大丈夫ですよ』と繰り返し、少女のように一生懸命揉み続けた。別にセンチな気分になったわけでは
ないけど、せめて、意識があるうちに少しでも気分の良くなることをしてあげたいと思ったの。
一ヶ月も経たないうちに〆木さんは意識が薄れて、私のことも分からなくなってしまった。もはや自分をコントロールできないから、やた
ら声を出し、体を動かそうとした。既に〆木さんの人格は失せ、〆木さんではない人になってしまった。和志さんのおかあさんが来られた
のはその頃ね。それまでは、騒ごうが暴れようが気遣う必要は無かったけど、正直言うとね、ちょっとしんどかった。勿論、あなたもお父さ
んも苦情は言わなかったけど、やっぱり気になってね。和志さんも気が付いていたと思うけど、手足を縛るしかないときもあった。〆木さん
のことを知らなければ、さほど余計なことは考えなかったと思うけど、昔を知っているだけに、人間はかくも変わり果てるものなのかと、目
の前の惨い現実に呆然とするばかりだった。
しばらくすると暴れる気力も体力も失って、静かになった。耳元で『七五三木さん』と呼ぶと僅かに反応した。〆木さんがこうなってからよ
ね。カーテンを開けて和志さんと話をするようになったのは。あなたのお父さんはね、ちょっと申し訳なさそうに、そっとカーテンを閉めるの。
だから、お父さんが見えられたときは、私のほうから閉めるようにした。でもあなたは閉めようとはしない。本当に優しい人ね。私はあなた
が来るのが楽しみで、規則正しい曜日も時間もすぐに覚えて、いつも待ち構えていた。病院にいるときも、家に帰ったときも、話が出来る
のはあなただけなの。それでついつい話し掛けてしまった。迷惑だったでしょ?ごめんなさいね。
長々と書いてしまったけど、いよいよ結末よ。
今や〆木さんは音に対する反応もなくなってしまった。脳を破壊され人格は完全に失せた。呼吸の補助を受け、命を保つための栄養を
管を通じて送り込まれ、排泄も管を通じて処理されている。日に数度看護婦がいくつもつながった機器のデータをチェックし、管の流れ具
合を確認し、血圧と体温を記録する。もはやここに横たわるのは〆木さんではない。呼吸を続け、体温を保持し続ける以上、人ではあるか
もしれないけど。すでに、命の続く限り生かせて欲しいと願う者もいない。
医師はそれでも、命の続く限り生かせ続けなければならない。独断で意図的に生命線を絶つわけにはいかない。〆木さんの一生は、
すでに自身の意思による「生前の葬儀」を行った時点で幕を閉じたの。意味の無い命の持続のためにこのような施しを続けることは無い。
施しは意味のある命の救済のために使われるべきです。
和志さん、もう一つだけ私の素性を明かすわね。私はずっと看護婦をしていました。いろいろな意味において、私が一番の適任者です。
私は今から施しの一つに手を加えます。
そして姿を消します。次に看護婦が看にきたときには全てが終わっているでしょう。医師が診れば、何故死に至ったか、それが故意によ
るものであったことも分かるでしょう。でも、私は逃亡するのではありません。ただ、厄介なことに巻き込まれるのがご免なだけ。だから姿を
消します』
一旦、半分以上の余白を残して文章が途切れた。でも、まだ一枚残されている。それをめくろうとしたとき、足音が近づいてきた。僕は慌
てて手紙をサイドボードの引き出しに仕舞い込み、ヘッドホンを頭に載せた。
「こんにちわ。あら、今日はお母さんに聴かせないで、自分で?」
月曜のこの時間に来る看護婦の三輪田さんだ。
「うん、今から聴かせようと思ってね。ところで、三輪田さん、隣りの七五三木さんは?」
「それがね、私は今日は昼からなんだけど、亡くなったそうなのよ」
僕は落ち着きを装い、ほんの少し驚きを交えて聞いた。
「じゃあ、朝に?」
「そう、朝の見回りの時には息を引き取っていたらしいわ」
僕は、表情を変えずに言えそうだなと確信してから言った。
「一昨日は落ち着いている風だったけど、原因は何だったの?」
「肺炎だって」
『えっ、肺炎?』僕は危うく発しそうになった声を腹の中に収めた。
「そう。弱っているときは、やっぱり肺炎が怖いんだね」
「そうよ、お母さんも気をつけないとね」
三輪田さんは、形式的に点滴の管と、排泄の管を確認して出て行った。
担当医師は死亡証明書の死因の欄に『肺炎』と記した。本当は何があったか分かったはずなのに。付添い人の素性や、看護婦たちの動
きも問題にしないままに。そして看護婦たちも黙ってそれに従った。
僕は気になっていた最後の一枚を取り出した。
『和志さん、もう終わりだと思ったでしょ?でもね、本当に書きたかったこと、あなたに読んで欲しかったことはここからなの。今までのは、も
う済んだことだし(あなたが読む頃には)、あなたにとってはどうでもいいことですものね。
本当に話しておきたかったのは、あなたのお母さんのこと。
私は〆木さんのことを看る役だったけど、実はあなたのお母さんのことも一番良く看ていたの。だから、これだけはどうしてもあなたに話し
ておきたい。最初に断っておきますが、これからお話しすることで、もしもあなたが不快に思うなら、本当に申し訳なく思います。でも、あなた
のこと、あなたのお母さんのことを思ってのことなの。これだけは分かってくださいね。
あなたは、お母さんに会いに来るたびに、CDを聴かせてあげているわね。他の誰も、医師も看護婦たちも、お母さんはもう聴こえていない
と思っている。だけど、あなたは多分お母さんが好きだった音楽を、いつ来たときも必ず聴かせてあげる。私はその光景を見ていて、音楽が
お母さんに届いていることを、あなたは確信していると感じていました。
私は毎晩〆木さんの隣りで寝泊りしましたが、皆が寝静まる時間になると、実はあなたのお母さんの傍へ行きました。そして毎晩、お母さ
んの耳元で声を掛けました。
<あなたは、とても美しい方ね>
<和志さんは、素晴らしい息子さんね>
声を掛けるだけではなく、お母さんの傍らに身を寄せて、体のあちこちを撫でました。
それは、刺激を与える意味もありましたが、体の変
化・反応を見るためです。
<和志さん、和志さん>と、何度も繰り返すと、お母さんの体はほんの僅かですが、温かくなるように思えました。おそらくあなたが<お母
さん、お母さん>と、何度も繰り返したら、お母さんの体はもっと変化が見られるんじゃないかしら。<お母さん、お母さん>と、耳元で声を
掛けながら、お母さんの体中を優しく優しく撫でてあげるの。
私は思うのです。お母さんは、きっと少しずつ少しずつあなたの中に入っていかれるんじゃないかなって。そしてお母さんは、きっとあなた
の魂の中で生き続けていかれるんじゃないかなって』
僕は最後の一枚を丁寧にたたんで、胸のポケットにしまい込む。残りは、完璧な廃棄の仕方を後でゆっくり考えよう。
改めて母の寝顔を見る。とても美しい。胸がいっぱいになり苦しくなって、息も吸い込めない。僕はやっとの思いで「お母さん」と吐き出す。
今までは照れ臭かった。もう一度言ってみる。
「お母さん。ほら、CD聴かせるよ。今日は『カルメン』だ」
僕は母の隣りにごろんと横になり、母の頭につけたヘッドホンから漏れる『ハバネラ』に耳を傾ける。
「お母さん、『ハバネラ』、情熱的でいいねえ」
僕は布団に左腕を忍び込ませ、母の手を握る。母の邪魔にならないように、歌い手に合わせてそっと口ずさみながら、母の手を握り続ける。
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僕の様子が、よほど音楽に聴き惚れているように見えたのか、『ハバネラ』が終わったところで、ママが声を掛けてきた。
「もう一度頭から掛けましょうか」
良くしてくれるママにありがたいと思い、僕はまた腕時計を見てから言った。
「順番はおかしいけど、ビールをください」
ママが笑いながらビールとピーナツを出した。
「他の盤もありますけど、どうします?」
あまり期待はできないけど、試しに掛けてもらうことにした。母が聴いていた『カルメン』はCDだから、原盤と違って雑音やかすれもないし、
きれいな音で再現している。原盤の生々しさは父のレコードで一、二度聴いただけだ。
始まりのオーケストラの部分はどうも似ているような気がする。そして『ハバネラ』が始まって、『情感を抑え目なところが、より情熱的』あの
頃感じた感想が、今そのまま蘇る。思わず、「これです!」と、声に出した。
嬉しくなってビールが進み、『カルメン』も『ハバネラ』を越えて、やっと先へ進んでいった。
一柳さんは姿をくらましたけど、どこかできっと生きている。一柳さん、一柳さんのおかげだ。これは誰にも内緒だけど――父も、妻や子供
たちも知らない――、僕の母は僕の中で生き続けているよ。
客が入ってきた。ママが僕の方を見て、右手の人差し指を立てる。僕が頷くと、ママはちょうど今聴き始めたように、もう一度『カルメン』を頭
から掛け直した。